職業としての小説家 by 村上春樹【書評】4


<4.何のために書くのか?ー世の中の人の対立が少しでも緩まる可能性を願ってー>

何かを書く時、何のために書くのか?
それは大切なことだと思います。

彼は、何のために書くのか?と言われると困るという感じで、
特別、誰かのために、何かのために書く、ということではなく、
書きたいから書いている、ということの方が強いようです。

小説家になろうと思ったのも、
野球を見ていて、突然、手のひらにふわりとしたものが落ちてきて、「小説家になろう」と感じたそうです。

運動されているからか、自然と宇宙と繋がっている方なのだと思いました。

村上さんが何のために書くのか、というのはそのままの表現はなかったのですが、
【小説の可能性】の一節に、その答えと言える部分がありました。

彼が書く理由を強いて意味づけするなら、
この記述が物語っているように感じました。

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そして恋人同士が、男女のグループが、あるいは夫婦が、親子が、僕の本について熱心に語ってくれたりしたら、それに勝る喜びはありません。

小説というものは、物語というものは、男女間や世代間の対立や、その他様々なステレオタイプな対立を宥め、その切っ先を緩和する機能を有しているものだと、僕は常々考えているからです。
それは言うまでもなく素晴らしい機能です。

自分の書く小説がこの世界の中で、たとえ少しでもいいからそういうポジティブな役割を担ってくれることを、僕はひそかに願っているのです。

(「職業としての小説家」村上春樹ー【小説の可能性】章より)

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彼は、小説について誰かと誰かが熱心に語ってもらえることはそれに勝る喜びはない、と言っています。

彼が書いている理由を意味づけするとするならば、
小説を読み、思考したり、誰かと話し合ったりすることで、
世の中の人の対立が少しでも緩まることを願っていること、そのポジティブな可能性を信じていること、なのではないかと受け取りました。

私が書く理由は、、
自分で自分にしている制限が少しても緩まるといいな、
そう思っています。

 
また、不思議なことを言うのだなと感じた印象に残っているメッセージがあります。

ーーもしも、「何かを求める自分」がいたとしたら、
「何も求めていない自分」を想像するといいよーー
という記述です。

何も求めないというのは、
つまり、こうではないといけない、というようなルールとか、損得にフォーカスしなくなる、
そうすると、羽が生えたように、気負いなく、自由に書ける、ということのようです。

“何も求めていない自分で書く”
おもしろいなと思いました。

 

 

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